必要とされるところで働き続けたい さんに会ってみた!㉙事業本部副部長の田邊さん
他の会社に内定をもらい、入社前研修まで行ったのにまさかの留年…そんなご縁?から始まった田邊さんのドーミーインストーリー。「必要とされるところで働きたい」という田邊さんが、ドーミーインで働く意味とは?日本全国のドミニスタに会ってさまざまなエピソードを聞く「会ってみた!」シリーズ第29弾です!
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「必要とされているところで働きたい。自分がどうこうしたい、というのはあまりないんですよね〜」
事業本部副部長の田邊 さんはそう微笑んだ。
田邊さんのドーミーイン歴は、大学時代のアルバイトから始まった。
「とある会社から内定をもらい、入社前研修にも行ったんですが、1単位が足りなくて留年。内定を取り消されました。たまたまドーミーインで働いていた知り合いがいて、留年したことを相談したら〝一緒に働く?〟と言われ、なんばでアルバイトを始めました」
アルバイトから正社員になったのは、自分が必要とされていると感じたからだった。
「当時の支配人に〝札幌が開業するので一緒に頑張らないか?〟と言われたことがうれしくて。他への就活をやめて、ここ1本にしました」
「必要とされるところで」と言う田邊さんだが、ただ待っているだけではない。必要とされるために、人一倍努力もしているだろうし、気配りも怠っていないはずだ。
「いつも誰かのためになりたい。そう思っているだけです」
ドーミーイン新潟に勤務していた2004年に起きた中越地震。棟の被害はさほどなかったが、中越から来ているスタッフがいた。
「家族と連絡が取れないと言うんです。それでも仕事をしてくれていたので、私が合間合間に何度も電話しました。ようやく繋がった時は自分のことのようにうれしかった」
田邊さんは「スタッフは家族だと思っている」とハッキリ言う人だ。
2005年12月の新潟大停電も忘れられないと言う。
「ご予約いただいていたお客様全員に電話しました。〝お部屋を十分な状態でご用意できないかも知れません〟〝大浴場もご利用いただけるかどうか〟〝キャンセル料はいただきませんので〟と。それでもほとんどのお客様が来てくださったんです」
懐中電灯で照らしながらお部屋をつくり、レストランにカップラーメンを用意した。お客様に必要とされるため、よろこんでいただくために、手を尽くしたのだった。
大停電は新潟駅前から徐々に復旧したが、イン新潟の付近だけは最後まで停電したまま。
「なんでここだけ?とお客様と笑い合いました」
誰かのために、という思いが強い分、自分を責めてしまうこともある。
「担当していた棟に新卒で配属されたレストランの子がふたりとも、1年経たずに退職したことがありました。目を掛けていたつもりだったんですが、自分の思いが届いていなかったんでしょうね。
もう少し気を配っていれば良かった。もっと何かできることがあったんじゃないか。反省するばかり。つらかったですね。でも、私以上にふたりもつらかったんじゃないかと自分を責めました」
そんな田邊さんだが「うれしいことは毎日毎日ある」と言う。
「特にこれというエピソードはないんですが。お客様がきてくれるだけでうれしい。問い合わせの電話だけでもうれしい。ドーミーインを思い出していただき、選んでいただいたわけですから」
田邊さんの〝誰かのために〟とは、〝お客様のため、スタッフのため、ドーミーインのため〟だろう。この思いがある限り、田邊さんが必要とされるところは尽きない。たぶん。
【Now and …】
「教える側も時代に合わせて変わらなければいけないんでしょうね。これをやりなさいと言うだけではダメ。こういう理由だから、こうしないとダメなんだよ。こうすれば、こんなにうまくできるようになるよ。きちんと説明することが大事ですね。
そして、できるようになったら、しっかり褒める。成功体験を積ませてあげることが、成長につながる。成長を見るのは面白いし、うれしい。これからも育成に関わっていきたいと思ってます」
■今回会ってみた人…田邊 さん。2001年からアルバイトとして働き、2002年入社。ドーミーインなんば、ドーミーインEXPRESS名古屋、ドーミーイン新潟などを経て、首都圏エリア総支配人に。現・事業本部副部長。
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「誰かのために」と思い続けている田邊さんにとって大切なことは、「お客様や一緒に働くスタッフがどう感じるか」のようです。ドーミーインの人材育成に関わる立場から「成功体験を積ませてあげることが、なにより成長につながる」と感じている田邊さん。マネージャーとして、先輩として、頼りになりますよね…ついていきます!(笑)
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